心に鬼を 魂に炎を やはり、このような感情を抱くのは「鬼」なのだろうか? 鬼岩正和 父親の死を目の前に、冷静に対応する姿 心にわいてこない悲しみの感情 安堵感とともに感じるわずらわしさ 実体験による心の葛藤
父親の死を、ボケ老人からの解放と考えるとは・・・
父親の死を目の前に、冷静に対応する姿
心にわいてこない悲しみの感情
安堵感とともに感じるわずらわしさ
実体験による心の葛藤
やはり、このような感情を抱くのは「鬼」なのだろうか?
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自分の父親が亡くなったというのに、悲しみすら見せない姿。
自分の父親が亡くなったというのに、葬儀の手配から親戚などへの連絡なども、誰にも頼らずにこなしてしまう冷静な姿。
自分の父親が亡くなったというのに、警察の事情聴取も冷静に対応する姿。
息子たちはどのように私を見ているのだろうか?
その姿は、人間らしいのだろうか?
その姿は、鬼のようには見ていないだろうか?
それにしても、ちっとも悲しい気持ちにならない。
かといってスッキリとした気持にもなれない。
もちろん、楽しい気持ちなど芽生えすらしない。
虚無感。脱力感。
抜け殻のような、なのにこれからしなければならないことで、頭の中がいっぱいになっている。
ようやく、これで解放されるのだ。
本物の鬼にならずに済んだようだ。
いや、もともと心に鬼を抱いているのかもしれない。
心の鬼が表面に出てこないだけなのではなかろうか。
突然の父親の死
かかりつけ医のいない老人の死
警察による事情聴取・現場検証
死亡診断書ではなく死体検案書
著作:鬼岩正和
編集:鬼岩正和