何だか問題点が違うような?乙武洋匡氏が夫婦別姓を認めない最高裁判断に疑問「裁判官の過半数が女性だったら…」

まとめ

作家の乙武洋匡氏(45)が23日、自身のツイッターで夫婦別姓を認めない最高裁判断に疑問を呈した。

冒頭、乙武氏は「予想通りではあるが、やはり無念すぎる」と切り出した後「私たち国民は、衆議院議員選挙のタイミングで最高裁裁判官を罷免することができる(国民審査)ので、ぜひ各裁判官がどう判断したのかを報じてほしい」と報道機関に訴えた。

そもそも最高裁判所では、「夫婦別姓を認めない民法と戸籍法の規定は憲法に反するかどうかが争われた」のであって、そこに感情が混入してはならないはずです。

それなのに、乙武さんは「女性だったら」などと「感情」を盛り込むことを示唆しているように思える発言。

法律に感情を持ち込んだら、法体系そのものが壊れる可能性だってあるというのに・・・

 

そもそもは「夫婦別姓」を認めるかどうかであって、昔からの「家族主義」を重んじた民法とそれに則った「戸籍法」が「憲法違反」になるかどうかを争ったって無意味なのではないだろうか?

日本という国は、農耕民族であるがために「家族」を大切にしてきた民族で、「家族」という小さな社会が集まって「村」という社会が醸成され国家へと発展していったと思われる。

そのため「家」を守るとか、「家」の象徴である「苗字」・「姓」を大切に考えるという思想が生まれるのだろうが、この考え方を基本としたのが日本の「民法」なのだから、同一の家族である以上「家族」や「家」の象徴である「苗字」・「姓」が同一なのは当然のこととなるのだろう。

しかし、太平洋戦争に負けた日本にアメリカという「個人主義」の国が入ってきて「民主主義」「自由主義」という「個人主義」を植え付けようとした。

その結果として、「アメリカ制民主主義」の教育が始まり、すでに75年以上が経過している訳なのだが、大日本帝国の富国強兵の軍国主義教育を受けた人たちも多く残っているので、基本的な考え方に大きな差が生まれてきているのだと思う。

現在の日本の民主主義において、これを修正しようと考えるのなら、裁判所という法律の場ではなく、根本的な主義・考え方を修正する「政治」の場で争うべきなのではないだろうか?そして「法律」を変えていくためには立法機関である「国会」の場で争うべきだろう。

議会制民主主義である日本の政治においては、政党が幅を利かせている。選挙で、どこの政党に投票するかは非常に大きなこととなるのだということを、今一度考えることが必要なのだと思う。

どんなに素晴らしい政治家であっても、一人では何もできない「議会制民主主義」の場で、どうしたら民意を正確に、早急に反映できるのか?反映してくれる政党はどこなのか?

国民一人一人が、しっかりと考え見守り、時には糾弾していく必要があるのではないだろうか。

まとめ
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